どうにかなることとどうにもならないこと
世の中にはどうにかなることとどうにもならないこととある。
どうにもならないことに時間を使うよりも、どうにかなる変えられる未来を変えるほうが有益だと思うのだが、世の中そう簡単に次に気持ちを切り替えて行ける人ばかりではないらしい。
そういった人のいいところをあげるとすると、一つ一つのことに莫大な想いを持っていることだろうか。私はすぐにどうにもならないことはすぐに諦めてしまうから、却って別にうまくいかなからかったといって落ち込むということもない。
ところで、倫理の授業で日本人は諦めの精神を持っていると聞いた気がする。(ずっとぼけーっとしていたからあまり覚えてはいないが)昔から災害が多発していた日本に住む日本人は、自然の到底逆らえないエネルギーを前に起こってしまったことはもう諦めて次へ進む精神が根付いているといったような内容だったと思う。
「諦」という漢字の意味は、デジタル大辞泉によると「明らかにする。締めくくり。まとめ。あきらめる。」らしい。
終わりのないものは果たしてこの世に存在するのだろうか。例えば、学問は絶えず進歩し続けるが、個人としてはいつか諦めなければならない時が来るだろう。それは大学で挫折し諦めるときかもしれないし、死を持って学問から離れるかもしれない。
いつかは「締めくくり」を迎える時が来る。必ず。
いつかは諦める。早かれ遅かれ諦める。
諦めるって実は悪くないのではないだろうか。